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紀伊半島ステージ

ミルキーイエロー

人生の棚卸し(東理恵)

人生の棚卸をしたくなるときってあるかと思います。

私の場合、40歳で人生をリセットして、
これまでに積み上げてきた
ささやかな「私」をいったんおしまいにしました。

14年ほどつとめた会社を退職し、
わずかばかりの退職金を手にして、
まったくご縁のない紀伊半島へと移住したのです。

夢や理想をいだいての
田舎暮らしというわけではなく、
都会に疲れ、
かといって疎遠になっている実家にも
戻ることができず、
なにかによばれるようにして、
人が少ない場所をめざしたのです。

これまで、県庁所在地にしか
住んだことがなかった私にとって、
廃れゆく山村の過疎地は、新鮮でした。

ひとりひとりの重さが違ったのです。

山村は、
都会で希薄だった個人が際立つ場所、
人間力があからさまになって、
体温を感じる交流があった場所でした。

山はどんどん荒れて廃れて、
いっていたのですが。

はじめるときは、終わることなんて
まったく想像していなかった
紀伊半島ステージ。

4猫とともに暮らしていたので、
猫がいなくなれば、
私も天寿をまっとうする、、、なんて信じてました。

紀伊半島にいる間は、
ここだけが世界だ!って感じで、
限られたみなさまとおつきあいしながら、
毎日を過ごしていました。

過疎化がすすみ、「人がいないことが問題」の地域。

2018年のいまは、首都圏に移り、
「人がたくさんいることでの問題」を感じている状態で、

紀伊半島ステージをふりかえり、
ココロの棚卸しをするようにつづってみた、
アメブロの記事です。


ありがとうは、魔法の言葉?!

時代はどんどん変わっていくけれど。

喜怒哀楽、どんな感情だって。

あなた、もう戻ってきたら、ダメよ。

思いはとどまってしまうから。

私が紀伊半島へいくきっかけとなったのが、大台ケ原。

三重県と奈良県の県境に位置する、高原です。

明治時代に入植がはじまり、
迷いの森といわれた場所。

かつてはうっそうとした
ブナやトウヒの森でしたが、
伊勢湾台風や伐採をきっかけに森林が後退し、
なだらかな高原のようになっている山です。

10年のうち7ヵ月は、
大台ケ原の山荘で住み込みで働いていました。
山を下りてからも、
土日祝日には山荘に通っていたので、
大台ケ原ドライブウェイを、
のべ100回ちかく往復したものでした。

この記事は、奥伊勢にいるとき、
この大台ケ原についてかいた記事です。

 


初秋の大台ケ原を歩く。
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