障害と私~自閉症かも?
発達障がいというのは、1990年以降に成立した概念といいます。
日本ではまだ、20~30年ほどの歴史しかありません。
私が障害児教育を志して大学に入学したのは、1986年。
発達障害をあつかった学校はなく、1981年ごろから提唱されはじめた「精神発達遅滞(知的障害)」という概念はありました。
盲学校教員養成課程として、盲学校に教育実習にいったときには、クラスが2つにわかれていました。
知的障害をともなう生徒さんのクラスと、
知的障害とともなわない、視覚障害だけの生徒さんのクラスです。
知的障害をともなう生徒さんは、重複障害児さんと言い表していました。
盲学校研究室(盲研)の先輩から引き継いだ家庭教師のアルバイト。
おこさんは、後天的な重複障害児さん。
学校の勉強的には、厳しい面もありましたが、とても優しくて思いやり深く、はっとするような、本質をつくことをお話ししてくれたりしました。
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当時の私は、まわりとのコミュニケーションにとてもストレスを感じていました。
- 対等な人間関係を築けない。
- ひとりがすきで、自分の思考に没頭する。
- 相手のお話はきくけれど、自分のことを話すのが苦手。
- 授業はすきだけれど、休み時間は恐怖
大学生になり、一人暮らしをし、
アルバイトをはじめたので、
どんどん社会性が身について、
愛想よくすることを学びました。
ですが、依然として、
プライベートの人間関係は苦手なままでした。
思い返せば、
幼稚園時代はかたくなに、みんなですること、お遊戯や、お遊びを拒否していました。
小学校時代も、笑わないと心配されました。
中学生になってから母に、「自閉症かと思った。」といわれました。
この「自閉症かも」という言葉はながく、私の中に留まり続けました。
発達障害には養育環境、社会的な要因も影響
2021年に、発達障害コミュニケーション指導者という民間資格があることを知りました。
30年ぶりに家庭教師をしようと思い立ち、不登校や発達障害のおこさんを希望すると、
この民間資格の初級を取得していることが望ましいと記載されていたのです。
大学時代の経験があった私は、「時代が変わった」と実感しながら、動画教材で初級を取得しました。
初級のテキストには、「個人要因」「養育環境」「社会環境」の組み合わせで、発達障害が現れるとありました。
おなじ個人特性をもったおこさんでも、発達障害が現れない(あまり問題と認識されない)場合もある、ということです。
自閉症かもと思いながら育った私。
母とのコミュニケーションはあまり、やわらかく温かいものではありませんでした。
(当時の私の認識です。いまは、内観によって変わってきています。)
家族、親戚関係には、少し、こども心には、冷たく厳しいと感じるところがありました。
母は忙しく、私が中学生になってからは、ひとり暮らしだった伯母の家で、妹とふたり寝泊りするようになったこともあり、義務的な会話しかかわしませんでした。
もしも、ゆったりと落ち着いた環境で、
母と父が仲良しで、
母とフレンドリーな関係を育んでいられたら。。。

ヒーリングの可能性
人間環境の不調和は、私の人生に深く影を落としつづけました。
一度目の入籍では、DVに。
私が、相手に絶対服従してイエスマンになり、恐縮して謝り続けたので、ゆるやかなコミュニケーションが成立せず、最後は、シェルターに避難し、DV接近禁止命令をとりつけ、調停離婚しました。
これは私論ですが、バランスが悪すぎる人間関係には、一方だけが悪いということはないのだと思います。
人間関係に問題をかかえた者どうしが関わりあって、極端な関係に陥ってしまう。
ひとたび、極端にバランスが悪く硬直した関係に陥ってしまうと、当人たちだけでは、なかなか修正することができません。
当時、私は、SEプログラマーとして、コンピューター業界で、正社員で働いていました。
会社では勝気で、男勝り。
家での私は、まったく、別人格でした。
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自分のどの側面が発言するのか。
自分のどの側面で引き寄せた関係性なのか。
関係性の問題をときほぐそうとしてはじめたシータヒーリングⓇ。
2020年にコロナで親しい人との関係が洗い直された時期でした。
ヒーリングに関わって1年半。
2021年の年末から、15日間の内観クラスに参加しました。

この集中内観によって、発達障害のこと、自分の人間関係の生理的心理的要因について、深い気づきを得ました。
シータヒーリングⓇ的、超感覚的な理解が深化したのです。
一方で、私は、4月から、ふたたび大学生となります。
ありがたい時代、オンラインで受講できる通信教育の生徒としてです。
教育学部の大学生だったころに芽生えた、心理学への興味。
シータヒーリングⓇという超感覚的な考察だけではなく、心理学的観点の学びを得て、私なりの発達障害の理解を深めていく所存です。
まだまだ、全体的、ホリスティックな理解は道半ば。
まずは、いまの段階での気づきを、記しておきたいと思います。
長くなるので、次回に続きます。